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母という生き物

我夫の一族は、夫の祖母と戦死した祖母の夫からはじまる一族です
夫は三代目の直系。
祖父は、長女が二歳、次女がお腹の中にいたときにフィリピンで戦死しました
次女の名前を決めた手紙が最後だったようです。
戦中、戦後と祖母がどれだけ大変な子育てをしたのかは
高度成長期に生まれた私には、想像することも出来ない
時折聞いた子育ての大変さは、戦後に書かれた本やドラマの中のようでした


私が夫に連れられ、祖母に結婚の挨拶に訪れたのが初対面
六畳一間に小さな台所
思いっきり昭和のセットのような、初めて見るドラマのセットのような小さな長屋の一角

前妻を亡くして四十九日を過ぎたばかりでの孫の再婚に異論を唱えつつも
私には、優しかった祖母でした。
もっとも、私は祖母と夫の話と、帰り道に話す夫の言葉で
“とんでもない人とお見合いをして、結婚を決意したんだ”と自覚した日でもありました

私の身長の半分しかない祖母は、戦前育ちで戦中、戦後と母子家庭を貫いて
二人の子供を立派に育てあげ
祖母の口癖は、
“たった四年間の結婚生活で、
 別れて暮らした時間のが長いけれど
 やっぱり、今でもじいちゃん(夫の事をこういってた)が好き”

“今でも、会いたい”と話す祖母の話が好きな私です。

結婚当初は、反対して斜めに構えていた祖母ですが
私の事を本当に可愛がってくれた祖母です
その理由は、祖母が愛情込めて必死に育てた娘二人が母親にとって不安な人生を
送っていたにも関わらず
孫世代は、みな順調に成長して曾孫世代、やしゃまご世代の順調ぶりが
初代母親の祖母には、うれしい事だから
祖母は、孫である夫の母親代わりだけでなく、父親代わりでもありました

そして現在の祖母は、
表向きは古びたコンクリートに塗り固められてはいるけれど
一歩入ると、今時珍しい昭和の時代の悪いとこばかりを残した病院に捨てられました
子孫のために残した全財産を娘らに奪われて
あれだけ苦労して育てた娘に・・・・
丸々と太った娘である(私の)姑の言い訳は、“これが限界だ”と申しますが
姑は、海峡が見えるマンションの屋上に住み
“残り少ない人生、美味しいものしか食べたくない”が口癖

現在祖母は、90歳を越え
長女である姑は、70歳を越えました
私がここに嫁に来て、姑が祖母を大事にしている姿を見たことがありません。
それでも、半分痴呆が入った(と、みせかけていると思う)祖母の口癖は
“○○ちゃん(姑の愛称)を、見捨てないで大事にしてやってね”

そんな祖母の言葉がセツナクテ・・・・
母親の末路というのは、そんなものなのかと想像するだけでも悲しすぎます

姑は、一度子供を捨てて恋に走りました
恋の結末は、長男夫婦であった我夫が、後始末。
残された夫の弟二人は、前妻が面倒をみて立派に成長しました。
前妻亡き後、夫に残された前妻との間の子供二人は私が面倒をみました。
母親を亡くしたショックと反抗期が重なってグチャグチャな気持ちの子供らに
足りなかったのは、
“慣れ親しんだ愛情”
助けを求めた私に姑は
“私は、祖母だから関係ない!”と言い放す姑の顔には
母親の片鱗はありませんでした。
そんな時、祖母は私を必死で助けようとしてくれました。
きっと、母親の気持ちだったのでしょう。

私が、初めて妊娠を知ったとき、
とてもうれしかった!
ただただ、うれしかった。
それまで、親に心配しかさせられなかった子供の私
絶対に無事に元気な可愛い子(私に似ない美人の子)を生むぞと決め
臨月間近になると
お腹に居る間は、“私の子供”だけど
この世に生まれてきたら“私が生んだ”だけの“私じゃない人格”だと思うと
生みたくない衝動にかられたものでした(笑)
母親になれるのかが不安だったように思います。

生まれてきた我子は、可愛くて、可愛くて
“いつも幸せの笑顔してる人間にしたい”との決心に代わり
夫と再婚したときも、
前妻も同じ思いだと勘違いした私は
“お腹を痛めてないだけの私の子供”
“前妻に褒めてもらいたいから”  だけで、夫そっちのけで
育児や、子供らとの生活を満喫してきました。

そう。夫との婚姻関係なんか考えもしなかった私

子供は親を選んで生まれてくる
だから、子供が親だと認めない限り母親には成れない
たとえ、お腹痛めて生んだとしてもね。
それが、私の母親としての自論

姑は、祖母を母親として認めてないから“あんな態度”になる
私は、嫁の立場だけど
同じ子供として、ピンチを幾度となく助けてくれた親には親孝行する権利があると
思います。
それは、母親が子供を愛する権利があるように。
でも、誰にでも無い権利は
誹謗・中傷する権利は無いとも思います
姑は、息子の家庭を壊すのが得意分野でした

姑は、自分自身を守る権利しか主張して来なかった人生
長男である我夫は、
“子供を捨てた人間に、母親ぶる権利は無い”

姑が自分を守るために
とんでもない噂を流して洗脳した一部の一族を切り捨てたいと申告した私と私の両親の前で
はっきりと宣言した日

それは、子供である夫が母親を捨てる宣言であるとともに
夫が20年間愛した前妻の命日でした

夫の前妻だった人
長女と次女の生みの母親
一人の子供として、姑をみた人
長男の嫁として、義弟らの面倒をみた人
なにより、生んだ子供を大切にした一人の母親
夫が最初に、最高に大事にした女性
それは、母親である姑でなく、前妻

夫が二番目に大事にした女性は祖母
母親である姑ではないって、思わず笑ってしまいますわ
オトコも所詮は、女の腹から生まれる生き物なのにね。

奇しくも、私が姑と姑に洗脳された長女と縁を切りたいと宣言してから二年近く経ち
オトコである夫が決断したのは
母親だった前妻の命日だってこと笑ってしまいますよね。
しかし、母親で存在することの重大さを改めて感じた一日でしたわ

30年以上も、許せない母親って存在を初めてしりました。

私の連れ子であるお嬢と坊ちゃんは、まだ社会に出たばかり
この先、犯罪者になるかもしれない危険がある(想像の話だけど)
夫は
“俺の子供二人の母親のお前の子供が、犯罪者になるわけないやんかフォフォフォ”

さぁってと、私が実子に捨てられないように
(四足軍団にもね)
キチンと残りの母親するには、まだまだ長い道のりがありそうだわ
っとその前に、話好きなくせに会話下手な夫。我慢強すぎる我夫を大事にしなくてはね。
お嬢と坊ちゃんにとっては、大事なたった一人の父親だもの。
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プロフィール

Author:リンダ
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姉御アン
2010年6月24日天使になる
捨て子だったので、大問題児だったけど
16年かけて、私を躾けなおした立派なワンコ

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2002年1月9日生まれ
クリームのトイ・プー パンチ
アンと二本足軍団に甘やかされすぎて
強気だけど、気の小さい、我まま王子

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2008年10月30日生まれ
クリスマス特価だったけど
トイ・プーの粋を超しちゃったボンド
体はでかいが、気の優しい
みんなに愛されるキャラの持ち主

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パンチ君が我が家のコになった同時期に
勝手に居候はじめた
キキ(黒猫右)とララ(まだらもち猫左)
1年間おっぱいを飲み続けたキキ
5年間親離れできなかったキキ
家出三年して、猫エイズ末期で帰宅
キキ。2002年4月生まれ(推定)
2010年5月7日。永眠
ララ。2001年生まれ(推定)

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キキが家出して一ヶ月後に
ララが拾ってきたオセロ
お転婆すぎて、脱走4回、大けが3回
現在、完全倉庫猫
時々、ボンドとプロレスするのが楽しみ
推定2007年4月下旬生まれ

二本足軍団
お嬢、夫、おかん等など

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